歴史・戦争遺構

廃線・暗渠

五日市街道の下に川?暗渠になって流れる「砂川用水」をたどる

江戸時代の玉川上水から分水された「砂川用水」は五日市街道の下を暗渠として今も流れる歴史ある用水路。立川〜国分寺を中心に、その流路と痕跡をたどる歴史散策記事。
廃線・暗渠

立川駅から西立川駅の五日市線は何故南に大きく曲がっているのか?かつて存在した「五日市鉄道」をたどる

五日市鉄道の概要五日市鉄道は大正期に発起され、1925年(大正14年)に拝島〜武蔵五日市間が開業した鉄道である。沿線には石灰石や砂利を産する地域があり、これらの産物を輸送する目的で路線が整備された。のちに武蔵五日市から武蔵岩井へ伸びる支線(...
廃線・暗渠

JR中神駅から北へにあきしま相互病院付近まであった線路「中神引き込み線」あとを辿る

昭島・中神に残る中神引込線の廃線跡を解説。戦時中に敷設され立川基地への燃料輸送に使われた歴史、廃止後の保存状況や散策スポットを写真とともに紹介した。
廃線・暗渠

芋窪街道のKenDepoから東立川駐屯地の東側を通って続く「栄緑地」には1976(昭和51)年までは鉄道が走っていた「立川基地引込線-立飛線」

栄緑地は、かつて中央線(立川駅付近)から分岐して旧・立川飛行場(後の立川基地)や立川飛行機工場へ物資を運んでいた引込線、通称「立飛線(立川基地引込線)」の跡地を整備した緑道です。
心霊スポット・曰く付き

立川にかつて存在していた「こうべ塚」そこには人骨が散乱していた言い伝えが残っている – 立川市錦町

立川市錦町にかつて存在した「こうべ塚」。人骨が散乱していたと伝わる伝承地で、室町時代の立河原の戦いとの関係も指摘される。
心霊スポット・曰く付き

死者105名以上 橋梁上で発生した八高線列車正面衝突事故 突然の事故でこの世に未練をがある霊たちが今も彷徨っているという – 1945年8月24日

1945年に八高線多摩川橋梁で発生した列車正面衝突事故の概要・原因・その後を解説。死者105名以上を出した戦後最大級の鉄道事故。
歴史・戦争遺構

トヨタドライビングスクールの近く錦町踏付近にあったとされるJR南武線「東立川駅」

ロケーションJR立川駅南口から東へ約1km。錦町踏付の北側にかつてあったとされるJR南武線「東立川駅」詳細情報古い地形図を見ていると、立川駅の東側に「東立川駅」なるものがあることがわかる。南武線は南武鉄道(現在のJR南武線)が1929(昭和...
歴史・戦争遺構

万博が立川市で開催されていた!?「TAMAらいふ21」「VOICE93」って覚えていますか?- 1993年4月25日

「TAMAらいふ21」とは、1893年(明治26年)4月1日、三多摩(北多摩郡・南多摩郡・西多摩郡)は神奈川県から東京府へ移管された。その100年後にあたる1993年(平成5年)に「多摩東京移管100周年記念事業」として開催された。
心霊スポット・曰く付き

富士見町の残堀川沿い タクシー運転手が通行を拒否する「山中坂」 かつて空襲により42名が犠牲となった – 1945年4月4日

富士見町の残堀川沿いの住宅街を入ったところに「山中坂」という坂道がある。昭和20年4月4日に起きた空襲にでB29が投下した250kg爆弾が防空壕の入り口付近に命中し、防空壕の中にいた42名全員が犠牲となった。そのうち32名は子供であった。
立川市高松町

立川市高松町1丁目交差点内の巨木「高松の大けやき」【撤去済み】

高松バイパスの「熊野神社前」交差点から東南方向の路地を入ってすぐ、「立川五小北」の交差点内にけやきの巨木がある。