錦国民学校(現・立川市立第三小学校)で発生したB-29パイロットへの東京憲兵隊と住民によるリンチ殺害事件 – 1945年8月8日

ロケーション

旧立川市役所の東側にある「たましんRISURUホール」その南側に位置する「立川市立第三小学校(旧・錦国民学校)」と、南武線を挟んで東側に位置する「正楽院」の墓地が現場。

詳細情報

1945年8月8日午後、中島航空機製作所等へ空襲のために飛行していたB-29を高射砲弾によって迎撃、B-29は多摩川河川敷に墜落した。パイロットはパラシュートで脱出したところ地元の警防団員らに捕まり、立川憲兵分隊に連行された。

翌日午後2時ごろ、捕縛されたパイロットのうちひとりであるMorone軍曹は憲兵隊により錦国民学校(現・立川市立第三小学校)の校庭へ引き出され、ポールに縛り付けられた状態で衆人にさらされた上に、憲兵の指揮下で群衆による約2時間に及ぶリンチが加えられた。

その後、羽衣町にある正楽院墓地へ運ばれ、立川陸軍航空廠の将校によって斬首、その場に埋められた。

敗戦直後、憲兵隊は証拠隠滅を図り、遺体を焼却する等をして墜落死に見せかけたが、住民の投書などから事件が発覚した。この事件にかかわった立川憲兵隊は、その後の横浜裁判にて終身刑、懲役20年などの判決を受けたが、処刑実行者の身元は判明しなかった。

以下、「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」より引用。

B29(機体番号44−87664、第314航空団29爆撃群所属)が墜 落。
 B29は高射砲弾を受けて2つに分解し、谷保の水田と多摩川の河原に墜落した。
 (注)作戦任務第320号(目標:中島航空機武蔵製作所と東京陸軍造兵廠、第314航空団から出撃69機、損失3機)
機長のJames L.SHUMATE大尉など10人が死亡、村民らの手で谷保の滝の院墓地に埋葬された。
 Lester O.MORRIS軍曹とSerafine MORONE軍曹はパラシュ−ト降下し、警防団員らに捕まり、立川憲兵分隊に連行された。
 MORRIS軍曹は翌日の夕方、東京憲兵隊へ移送され、戦後米国へ帰還したが、MORONE軍曹は午後2時頃、憲兵隊の近くの錦国民学校(現・立川市立第三小学校)の校庭へ引き出され、バスケットボールのポールに縛り付けられて約800人の公衆の面前にさらされた。憲兵の指揮下、集まった群衆が2時間にわたって次々に彼に暴行を加えた。この行為は空襲警報のために中止されたが、息も絶え絶えになったMORONE軍曹は、憲兵隊員によって担架で羽衣町の正楽院墓地へ運ばれ、首切り役を買って出た立川陸軍航空廠の将校によって斬首され、その場に埋められた。敗戦直後、憲兵隊は証拠隠滅を図り、遺体を掘り返して焼却した後、骨を再び同墓地に埋葬し墜落死に見せかけて慰霊を装ったが、住民の投書などから暴行と斬首の事実は米軍の知るところとなった。
 戦後の横浜裁判で、この事件を指揮した立川憲兵分隊長の矢島七三郎少佐は終身刑、補佐役の関昇准尉は懲役20年の判決を受けたが、処刑実行者の立川陸軍航空廠の将校の身元は判明しなかった。

関連情報・リンク

所在地・地図

暴行現場:錦国民学校(現・立川市立第三小学校)

〒190-0022 東京都立川市錦町3丁目4−1

殺害現場:正楽院墓地


〒190-0021 東京都立川市羽衣町2丁目42−27

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