富士見町の残堀川沿い タクシー運転手が通行を拒否する「山中坂」 かつて空襲により42名が犠牲となった – 1945年4月4日

ロケーション

市立八中の近く、富士見町の残堀川沿いの住宅街を入ったところに「山中坂」という坂道がある。

詳細情報

第二次世界大戦中、三堀川の河岸を利用した横穴式の防空壕があり近隣の住人に活用されていたが、1945年(昭和20年)4月4日に起きた空襲にでB29が投下した250kg爆弾が防空壕の入り口付近に命中し、防空壕の中にいた42名全員が犠牲となった。そのうち32名は子供であった。

地元住人の話によりとタクシー運転手がこの坂を通ることを避けたがるため、いつも大回りしなければならないという。

防空壕のあった場所には「戦災供養地蔵尊」が建立され、1995年(平成7年)4月には慰霊のための「山中坂悲歌」の歌碑も建てられた。
碑文には下記のように記載されている。

碑文
 太平洋戦争の末期、立川は1945年(昭和20年)2月16日から8月2日までの間、少なくとも13回の爆撃を受け、330余名が犠牲となった。
 ここ山中坂にあった横穴式防空壕は、4月4日未明、B29が投下した爆弾が直撃し、中に避難していた子供たち32名をふくむ42名が死亡した。
 平和をねがい、思いをおなじくする私たちの挙出金、土地所有者の株式会社伊藤商店のご協力によってこの歌碑を建立し、戦争の悲劇を再び起こさないことを誓います。
 1995年4月2日

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所在地・地図


〒190-0013 東京都立川市富士見町4丁目22−19

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